子供の親との愛着形成の話を僕と娘の話をしながら説明しましょう。
娘が3歳だった時に、私は腰を悪くしました。
娘はどんなに説明しても僕の腰痛はお構い無し。
娘に抱っこをねだられて、僕は仕方なく抱っこしてたのですが、
「お父さん、腰、痛いねん、降りてぇ」
と、すぐに娘にお願いしました。
しかし、娘は、ニヤニヤしながら断りの手を振って
「(降りる事は)無理無理ぃ~🎶 (ヾノ・∀・`)」
と言う一点張りでした。
私が娘を無理矢理降ろそうとする度に、娘はこの世の終わりかの様に必死に僕にしがみついてきながら叫ぶ事の繰り返し。
「ギャ~ッ😱❕」
夜には神戸ルミナリエへ。ここでも、長時間抱っこの連続攻撃を…🤮
翌日は、腰を診て貰う為に会社を有給休暇。
車には短距離短時間なら乗れる症状だったので、娘を乗せて保育園まで運転しました。
保育園で娘と別れる時、
「😱お父さんと一緒ぉ~❗😭」
と、娘は泣き叫ぶ。
夜のお迎えの時は僕を見るなり、娘は、
「ギャー〰️❗ アー~ッ❗」
と、喜びの雄叫び。
その後は遊んだオモチャのお片付けすらほっぱらかして
「ダッコぉ~ッ😆」
抱っこ地獄の再開。
お家に帰ったら二人でお風呂😌♨️
「ギャー、ワー❗、キャー😆❗」
奇声を上げて、喜ぶ娘。
結局、腰が痛いのに毎日いつの時もコアラ抱っこ密着🐨
でも、完全なぎっくり腰ではなかったお陰で、順調に回復しました。
この数日間を振り返ってみると、娘にとって親が怪我してようと関係ありませんでした。
腰痛を知らないし、体験した事が無いから解らなかったんだろうけど。
ー ただ、抱きつきたくて、
離されそうになったら慌ててしがみつき、
全力で阻止・拒否する。 ー
こういった子供の親への純粋な想いの行動が、
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子供が親にする無条件/不条理/理屈抜きの求愛/自己表現
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であり、子供が親との間に作っていく愛着形成の基礎です。
👪 👦 👧 👶 👪
数日の腰痛と娘とのやりとりの中で、昨今問題になっていて自分も苦しい目にあった親子の触れ合いの『愛着形成』が思い浮かびました。
抱き締める時は、適当にしない様に丁寧に心を込めて娘と接している自分の身体の部分を十分感じる様にしています。
生まれた時から抱っこ等のスキンシップは大切ですが、歳を重ねる毎にその重要さの意味が変わったり、付け足され続けています。
娘は3歳を過ぎる辺りから、自我をよりはっきり感じ始め、状況判断が出来る様になり、理屈をこねたり、怒られそうな事を隠れてする様になっていきました。
という事は、自分でしっかりと解りながら感じ取っているという事なので、潜在意識だけでなく顕在意識としても記憶に残っていき始めます。
私自身、3歳から記憶が残り始めています。
人間は子供として、親の存在意義は3つあります。
〇 生き物である自分の生命維持を握る存在としての親
〇 子育てがある生物として情緒面から見る親
〇 人間として発達した思考を通して見る親
生まれた時から子供は親との心と身体の触れ合いが始まり、この3つを基準にして子供は親に対して、感情が湧き、考えを抱きながら成長していきます。
そういう意味で、3歳を過ぎた娘との抱っこを始めとするスキンシップは3歳頃なりの意味があります。
子供が健全な成長をしていく中で、親子の触れ合いは、子供の年頃に応じて欠く事が出来ない大切な意味があります。
小さい頃の僕は、
「パパにおんぶして欲しい」
という願いを叶える為に何度も寝たフリをしました。
木工工作、昆虫採集、山や海へ一緒に遊びに行った思い出。
『僕とパパとの思い出』
このパパと呼んでいた子供の時の父親との記憶は、
〇 僕が大人になってから発症した精神疾患、
〇 上手く築けなかった親子間の心の触れ合い関係
〇 親への憎しみ
を乗り越えられた僕の大切な『記憶の中の温もり』となっています。
私には、たまたま父親との関係の中に、
● 悪い出来事
● 悪い記憶
● 悪い感情
だけでなく、
〇 良い出来事
〇 良い記憶
〇 良い感情
が残っていたので、心理スキルと指導者の方々の導きを得ながらも、意識と症状を改善していく可能性が大きかったという理屈です。
親は一生懸命に我が子を育てても、ある意味悪い結果になる場合があります。
私の両親は、一生懸命僕たち兄妹を育ててきた、いつも必死だったと言ってくれていたし、そうだったと思います。
しかし、親が子を思ってやった事、やり続けた事が、
● 子供の為になっていない事
● 子供の意志に反する事
● 子供が主体的に自分を生きれなくした事
● 子供の精神心理を侵してしまった事
● 子供を犯罪者にしてしまった事
などの過程や結果になってしまった事は幾つもあります。
また、親の人格と素行が悪く、虐待を受け続けた人もいます。
どこかの統計によれば、愛着形成がきちんと出来ている人は60%とか言っています。
ただ、この60%以外の人達に、僕の様な『親との温もりの感覚』が多少でもあれば、将来苦しみにあえいでも、その温もりを心の力にして、這い上がれる可能性を身をもって知っています。
何歳になっても、親の目を盗んで、娘は真冬に大好きな夏物ワンピースを着ます。
親に良い事を言われない事が解ってて、子供はイタズラや悪い事、親の意に反する事をします。
子供は親に、怒られると感づいていても、
🌕️ かまって欲しい
🌕️ 見て欲しい
🌕️ 認めて欲しい
🌕️ したい事をしたい
子供は、
🌕️ 親が子供の事が一番であって欲しい
🌕️ 親はどんな自分も受け入れて欲しい
🌕️ 親はいつも子供に思いを向けて欲しい
と、理屈抜きに思っています。
また、子供は基本的に、理屈抜きに親が大好きになる様に生まれ育っていきます。
だからこそ子供は親に理不尽で不条理な要求や表現をします。
冒頭の、僕が腰痛なのに抱っこを求める娘の思いと行動も同じ理屈です。
自分を一番認めて大切にして欲しい親との関係が上手くいかないと、子供は、自分を傷付ける、他人を傷付ける等、自分と他人の両方を活かして生きる気力を生みにくくします。
子供にとって親は、
● 子供の命と存在意義に関わる存在
● 生まれて初めて出会い共に暮らす存在
● 子供より上の立場であると同時に対等の関係
です。
そんな一番密接な存在と関係である親からの『他人受容』が育まれなければ、自己受容が育たちません。
そして、親に『不条理/理不尽/理屈抜きな表現』を阻害され続けた子供は、『子供から他人への他人受容』が健全に育たないので、他人から子供への『他人受容』も少なくなります。
その理由は、親子間でしかあり得ない不条理で理不尽な表現を、ある程度以上親に受け入れて貰っていなければ、他人を認めたり赦したりする心が育たないからです。
社会で生きていく上での他人への寛容さが無ければ、他人からも寛容に扱ってくれないという事です。
揚げ足を取る人、好き嫌いが激しい人、融通がきかない人、感情のコントロールが難しい人、上手く自分を表現できない人、人付き合いがぎこちない人が嫌われる事は多いでしょう。
しかし、子供は親に対してもそういう人に育ってしまっているのです。
お解りになったと思いますが、子供が親との間に作る愛着形成を、そのまま親以外の人に当てはめてしまいます。
精神心理の世界では、愛着形成は親子間のモノと言われていますが、親以外の人間関係にも広く深く関係があります。
要は、親子間でこじれた問題が、そのまま子供が関わっていく他人、コミュニティ、社会へと広がっていき、深刻化していきます。
基礎が出来ていないのに、応用が出来ない事と同じです。
親と真心の人付き合いを幼い頃から出来ていないのに、どうして、親以外の人達と真心の人付き合いが出来るのでしょうか❓
出来ないでしょう。
余りにも幼い頃から親との愛着形成という一番基本的な人間関係が損なわれ続けた過程に合わせて、脳と精神が成長していった結果が愛着障害です。
脳、精神、意識などの身体そのものが社会で生きていくには、支障があるモノに成長したのです。
愛着障害は、改善の見込みが立つものと、立たないものがあります。
見込みがある場合は、一つ一つ手引きを受けながら、まず手引き者指導者との愛着関係を作っていきます。
次に、手引きを受けながら、実生活でも少しずつ自分自身との繋がりと他人との繋がりをトライアンドエラーしながら、生き直していきます。
最後には、手引き者から自立して、社会の中で生きていきます。
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